仏教は、釈迦が開いたものとして知られています。現在のインド周辺に釈迦は住んでいましたが他の宗教の教祖と異なり非常に裕福な家庭だったとされています。その国の王様の子で物やお金に満たされた生活をしていましたが、物質的に満たされても決して人は幸せになることができないと意識し始め、その後仏教を開くに至ります。
現在日本の仏教は、大乗仏教と呼ばれるものになります。これは、釈迦が生きていた時代にはまだありませんでした。これが世界に浸透したのは釈迦が亡くなった後になります。まだ生きていた頃は、人々の間でそのようなものは一切はやっておらず、ごく1部の人だけが信仰していただけです。しかし、これが人々の間で広まらなければ、せっかくの教えも広がっていきません。素晴らしい教えであることを知っている弟子たちは、これをなんとか広げようとしたわけです。
この時、大きく2つの考え方に分かれました。それは、小乗と大乗の2種類になります。釈迦の教えをかたくなに守ってきた仏教を小乗と呼びます。そしてもう一つは、多少形式を崩して多くの人に信仰しやすいように形を変えたのが大乗になります。つまり、大乗仏教とは歴史的に見ても釈迦の教えそのものではありません。どちらかと言えば、人々に広めるためのやや緩い形式にしたわけです。
このように2つに分かれたわけですが、最終的に世界に広まったのは大乗の方でした。やはり形式的に難しいものは人々に受け入れられず、逆に本来の釈迦の教えから少し外れたとしても人々に伝わりやすい形式のものは世界中に広まりました。戦後は西洋などにもこの考え方が広がっており、正しく世界の宗教の1つとして名を馳せています。
その歴史の中でその基本を紹介すると、手を合わせて仏様に祈ることが重要と言うわけです。他の宗教と異なるのは、神様と呼ばれるものは存在しないことです。例えばキリスト教の場合やイスラム教の場合は、必ず神様の存在がいます。その存在に対して手を合わせ、自分の幸せと他人の幸せを祈るわけです。しかし大乗に関しては神様は存在しないものとして、正しい生き方を伝えていくわけです。
日本では、さまざまな宗派がある中で、有名なのは親鸞の往生に関する考え方になるでしょう。親鸞は悪人正機説と呼ばれるものを発表しています。これは、善人でも往生することができるのだから、悪人ならばなおさら往生することができると説いたものです。このような考え方はまだ貧しかった人々に広まりました。
現代では、お寺からお坊さんを呼びお葬式をする方も多いですが、釈迦がいた時代はそれを否定しており、これこそまさに大乗の考え方の1つといえます。