基本的に、近代仏教という言葉を使うときにはその時代背景は幕末期から第二次大戦までのことを指します。仏教は、元々日本の文化に根付いていたものであるためその歴史は非常に長いです。1000年以上の歴史が存在し、その中で分派が生まれていき様々な流れができました。例えば、江戸時代には当時最大の勢力であって浄土真宗の本願寺が分裂した影響もあり、そこに様々な文化や考え方を導入した移り替わりがありました。しかし、こういった流れが変わったのが明治時代です。
近代仏教といわれているものは、戦前は明治仏教とも呼ばれていました。これは、この時代に大きな変革が行われたからです。移り替わりの代表的な例では、廃仏毀釈と呼ばれるものです。これは、寺院や仏像などを破棄することによって、仏教そのものの考え方や文化を捨てていく政策です。これは日本国全体で行われ、それまで存在していた貴重な仏像や寺院などは破壊されていきます。なぜこういった現象が起こったのかというと、当時設立された明治政府が神道を推し進めようとしていたからです。歴史的に、神道との比較は見逃すことができません。
日本国内にも、神社は数多く存在しますがこれは寺とは全く異なります。前者では、文字通り神を扱っていますが後者では仏を扱っています。昔から、神と仏の立場の違いは議論されてきましたが、その時代の権力者の考え方や方針によって大きく展開が左右されてきた背景もあります。そのため、議論になることはあっても大々的に何らかの大きな処分や制限が行われることはほとんどありませんでした。特に、神道については日本人の精神や文化と直結している考え方であったため、それを蔑ろにすることはできない事情もありました。
同様に、仏教のわかりやすく親しみやすい考え方も既に人々の生活に浸透していた状況です。特に江戸時代に様々な文化が取り入れられていった仏教には、文化的あるいは学問的な側面が全面的に出されることもありました。その結果、かけ離れた両者に神仏分離の考え方が生まれてきて、その流れが明治時代の新政権の成立とともに最も大きくなっていきます。
歴史的にも、日本の近代仏教はこの廃仏毀釈を起点として形成されていったといっても過言ではありません。寺院数が激減していき、他の宗教の普及が解禁されたのも1つの特徴です。宗派全体の勢力が落ちていった時代であったため、各派ともにその流れに負けないように時代に対応できるような近代化が求められていきました。この傾向は戦争が終わるまで続き、現代の宗教的な趣きを取り戻したのが戦後に入ってからのことです。