上座部仏教とは、宗派の1つです。最古の宗派に分類されるもので、パーリ語の三蔵を伝えています。三蔵というのは、経蔵と律蔵、そして論蔵を指す言葉です。経蔵は、釈迦の教えをまとめたものであり、律蔵は僧団の規則や道徳、生活様式などをまとめています。論蔵は、その名前の通り解釈をまとめたものです。こういった背景もあって、パーリ仏教と呼ばれていて、現代でも多くの人から認識されているものです。
上座部というものの考え方は、原始の宗教的な考え方です。出家をして悟りを開くことによって、煩悩に満ちている生を解脱することを目的としています。日本にも、こういった考えた方は昔から存在します。俗世の煩悩を捨て去ることによって、良きあの世に行くとする考え方は行為としては難しいですが、論理としてはわかりやすいものだったからです。ただ、上座部仏教については日本国内では大きな反発が生じたこともあります。元々、こういった宗教的な考え方が広まったのは一般市民にもわかりやすいようにその伝え方や考え方を変えたからに他なりません。
そもそも仏教は、悟りを開くための流れがものすごく厳しくて、一部の人達にしかそれを成し遂げることができないという歴史的な背景がありました。そこで生まれたのが、大乗仏教と呼ばれるものです。一部の信仰心のある教徒や信者だけではなく、より幅広い人が救われるように宗教的な意味合いを変えていく必要性がありました。本来ならば修行などが必要なものであっても、そうではない道筋を一般人のために作ろうと考えられたのです。現実的にも、信仰心が非常に厚く出家制度や修行において救われた人もごくわずかでした。その結果、実は通常の宗教的な考え方と比較しても一般人への認知度がかなり低かった傾向があります。
これは、例えば極楽浄土を考えれば非常にわかりやすいです。極楽浄土へ行くための条件は、非常に緩くて受け入れやすいものです。極端に述べれば、難しい宗教的なことをしなくても、誰でも阿弥陀仏を唱えればそこに到達できるとする考え方です。死後に待っている極楽浄土は古い宗教的な価値観で述べると、難しい宗教的な境地でたどり着けるはずの場所と変わりありません。ですから、原始的な宗教的価値観よりも新しい極楽浄土の考え方が日本国内では浸透しています。
歴史的にも、日本で上座部という考え方が広く知られ始めたのは明治期になってからと近現代に入ってからです。古くから存在する宗教的な考え方と、新しく広まった大乗的な考え方にはこういった違いが存在します。