仏教の一般的な幸福論ではギャンブルをあまりよいものと考えていません。なぜならブッダの最も重要な教えは執着を捨てることだからです。金銭などに執着するとそれが得られたときには一時的な喜びを感じますが、失われたときに悲しみを感じます。また欲望を満たすために常にストレスを感じながら生活を送らなければならないのは不幸なことです。ブッダは欲望があるからこそ苦しみが生まれるのであり、欲望を捨てれば苦しみも消えると考えました。しかし実際に人間が全ての欲望を捨てることは困難です。何事にも過度に執着しなければ深い悲しみを味わうこともありません。一般的な人間に期待されるのは、自分自身を客観視して様々な欲望の葛藤の中で自分にとって本当に大事なものは何かを見極めることです。
仏教ではよく座禅や瞑想などを行うことがありますが、自分自身を見つめ直すことで本当に必要なものが何かが分かります。ギャンブルは勝てば他人から恨まれることがあり負ければ財産を失うだけでなく、依存性があるため止められなくなる人もいます。競馬やパチンコなどに熱中し過ぎて多額の借金を背負ってしまうケースも多く見られます。ブッダの教えにおいて重要なのは過度に自分を苦しめるようなものから距離を置くことです。完全に欲望を断つことは生きている人間には不可能ですが、自分を苦しめる対象から物理的に距離を置くことならばできます。戒めとは人を苦しめるためにあるものではありません。ギャンブル依存で困っているのであれば、パチンコ店や競馬場などから物理的に距離を置いて気持ちが落ち着くのを待つことが大切です。最初はギャンブルを我慢するのが大変かもしれませんが、物理的に距離を置き時間をかければ依存症を克服できます。
江戸時代の日本の仏教寺院では寄付を募るために宝くじを発行していたこともありました。一般的にギャンブルの主催者に支払うお金のことを寺銭と呼びます。江戸時代には寺社の境内が賭博場として利用され、儲けのうちの一定割合が寄進されていました。寺社の敷地内は寺社奉行が管轄しており、ギャンブルが行われても町奉行による捜査や検挙が困難だったという事情もあります。
仏教の幸福論では依存性が強く様々な害悪を生じやすいギャンブルをあまりよいものとはされていませんが、ブッダが直接ギャンブルを禁止したわけではないので天罰が下るようなものでもありません。過度のギャンブル依存によって自分自身を苦しめないようにすることが大切です。