私たち日本人は神社にお参りに行き、お寺でお葬式を行い、クリスマスやバレンタインを祝うという生活を送っているため、特定の宗教を信仰しているという感覚を持っている人は少ないものですが、それでも欧米の人々から見れば仏教徒ということになるでしょう。
しかし現代で私たちが仏教であると考えているものと、この宗教の創始者である釈迦が目指していたものは全く違ったものであったと言われています。
そもそも釈迦が目指していたのは「どうすれば人間は病気や病といったこの世にある苦しみから解放され、幸せに生きることが出来るのか」という問題を考え、それを行動として実践していくというもので、宗教というよりも哲学に近いものだったと考えられています。
これに対して釈迦は「この世のあらゆるものはいつかは滅びるのだから、欲望に執着せずに生きることを目指すべきだ」と悟りを開きました。
釈迦の考えに賛同した人々は彼の弟子になりましたが、釈迦はあくまで自分が考案した修行方法を教授するある種のインストラクターであり、悟りに到達できるかは個人の努力にかかっていたというのが特徴です。
しかし現代であれ古代であれ修行を行うのには一つ大きな問題があります。
それは人間は働かなければ行きていけない生き物だということです。
悟りに到達するのに修行が必須ということになれば、経済的、時間的な余裕のない人間の魂は救済されません。
この問題を解決するために誕生したのが大乗仏教という教えです。
大乗では伝統派(上座部)が厳しく定めていた戒律を大幅に緩和し、仏を信じていればどんな人間もいつかは救われるという説を提唱しました。
人間誰しも厳しい修行をしなければ救われない世界よりも、無理のない範囲で出来るお布施や参拝で救われた方が嬉しいものです。
そのため大乗は釈迦の本来の教えに近いと考えられている上座部よりも、はるかに多くの信者を獲得しました。
私たち日本人が信仰しているのもこの大乗の教えです。
浄土宗で「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでどんな人間も救われると言われたのはその典型ですね。
かつて大乗派は伝統的な仏教を一部の人間しか救われない小乗と批判していましたが、近年は互いの宗教観を尊重する精神からこの呼び方は使われなくなっています。
また近年ではヴィパッサナー瞑想と呼ばれる上座部で行われてきた修行方法が、ある種のメンタルトレーニングとして欧米で人気となるなど伝統の価値の見直しも進んでいます。